2022年12月3日から公開された『THE FIRST SLAM DUNK』。
宮城リョータ中心のストーリーということで、今回は宮城リョータの兄のソータ(そうた)が死亡して、今宮城リョータがつけている赤のリストバンドは兄の形見だったこと、そしてバッシュも形見だったこと、さらには背番号の7番は兄が昔バスケをしていた時につけていた背番号だったこと、兄が読んでいた月刊バスケットボールの雑誌は赤木が大切に持っていたものと一緒のものだったことなどご紹介していきます。
宮城リョータの兄ソータが死去
映画スラムダンク冒頭では、兄ソータとバスケをする宮城リョータでしたが、その後父親が死んでしまいます。悲しんでいた母親に寄り添ったのは兄でした。
しかしリョータがある時バスケの練習をしていた時、兄が友達に誘われてバスケの練習を放棄して釣りに行ってしまいます。
それに怒ったリョータは、船で釣りにいく兄に対してもう帰ってくるな!と言い残します。しかしそのまま兄は戻らずに亡くなったようでした。
宮城リョータの原点は、兄とは3歳差で恐らく兄がきっかけで一緒にバスケをするようになったのだと思われます。
赤のリストバンドとバッシュは兄の形見?
そして宮城リョータは左腕に赤と黒のリストバンドを原作漫画の頃から付けていました。
リストバンドを同じ腕に2つ付けるなんてなかなか見ないですよね。しかしその理由が今回の映画で判明しました。
赤のリストバンドは兄がつけていたものでした。なので、自分の黒のリストバンドと一緒に合わせて兄の赤のリストバンドを付けていたというわけです。
そして描写はちょっと覚えてないですが、兄を思い出していた時に開けた靴箱からバッシュを取り出したシーンがありましたが、これはリョータのバッシュではなく、兄のバッシュなのかなと思いました。
3歳差なので、ある程度大きくなったリョータの足と合うはずです。ともかく宮城リョータは兄の形見をに身につけて戦っていたわけです。
背番号7は兄がつけていた番号で髪型は兄を真似たもの?
そして、兄ソータは少年バスケをしていましたが、その活躍をリョータも見ていました。
兄が死んだ後は同じ少年バスケのチームに入りますが、兄よりうまくないと比べられてしまいます。
その後、宮城が背番号を選ぶ場面が確かありましたが、そこで7番を選びます。それは兄が少年バスケをしていた時につけていた番号でした。
湘北でも宮城は7番をつけています。これは、兄がつけていた番号というように思い入れのある番号だったんですね。
さらには、兄は刈り上げた髪型をしていました。最初はリョータは刈り上げなどせず、ミディアムな髪型でした。大きくなったらいつの間にか刈り上げた髪型になっていましたが、これは兄を真似たものだったかもしれません。
兄が持っていた雑誌は赤木と同じもの
そして読み切りのピアスでも登場した沖縄県の海岸の洞窟ですが、ここは、兄とリョータが一緒にいた秘密基地でもありました。
大きくなったリョータが沖縄に来て洞窟に行くと、そこにはバスケ雑誌があり、思い出すと兄が山王の強さを語るシーンがあり、自分が山王と戦っているような空想を思い浮かべていました。
その時見た山王の雑誌ですが、赤木の原点ともなっていた雑誌と同じものでした。これは面白い繋がりですよね。宮城も兄を思ってこの雑誌のことを思い出していましたが、赤木も同様に大事にしていたものでした。
まとめ
ということで、全体の内容としては、カットされたり、微妙な描写のシーンもありましたが、宮城リョータの部分に関しては原作ではわからなかった家族部分が保管された凄い内容でした。
また原作を読み返せば、リストバンドなど兄と関係していたものがまた見つかるかもしれませんね。