キングダム桓騎(かんき)の死亡最後いつ何話で752話!史実ネタバレに肥下の戦いで李牧に殺される?

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桓騎(かんき)』は春秋戦国時代の戦国七雄の一つ秦国の武将。または大人気漫画作品『キングダム』の登場人物にして始皇帝の配下秦国六大将軍の一人で謎多き人物です。

今回はキングダムより『桓騎』について史実のネタバレや死亡するのか?死亡するならば何話なのか?についてなどをご紹介したいと思います。



目次

桓騎は史実では肥下の戦いで李牧に敗れ死亡

そもそも桓騎という人物について語るとしてもとても史実での活躍期間も短く資料も乏しいのでどういった人物なのか等は現在でも謎に包まれていますが、秦国の中華統一について一番詳しく書かれている史記によると、紀元前234年(始皇帝歴13年)に趙の平陽・武城を攻めてこれを落としその時趙の捕虜十万を斬首にしたと記録されているように敵に恐怖心を与える事で屈服させるタイプの武将であったようです。

そんな桓騎将軍ですが、史実での記録は紀元前233年(始皇帝歴14年)に再び趙を攻めた際に発生した肥下の戦いで途絶える事になります。前年に攻め込んだ平陽・武城を再び攻め落とし今度は趙国の更に奥地まで攻め込んだ際に李牧軍と対峙し戦闘になった肥下の戦いで死亡したとされます。

しかし、この死亡説もなんと諸説あり、前漢の臣である司馬遷が執筆した『史記』では肥下の戦いで敗れ敗走したとなっており、同じく前漢の臣である劉向がまとめた『戦国策』では肥下の戦いにて敗北し李牧に討たれたと有りますが、どちらにせよこの戦いで順調にいっていた秦国の天下統一事業にブレーキがかかる史実としては大変重要な戦いとなっています。



桓騎の死亡最後は?

桓騎将軍についてですが、前漢の臣であった史家の司馬遷が執筆した史記によると、紀元前237(始皇帝歴10年)に秦の将軍に抜擢されたようで、ここ以前については記されて居ないので様々な説が唱えられています。

この歴史の表舞台に立って以降の主だった功績は趙国攻略に功績のある人物とされており、それ以外は特に目立った功績は皆無なようではあるのですが、この趙国攻略には王翦・楊端和と共に参加しておりこの二人の実在を裏付けるにあたって趙国攻略は貴重な資料となっています。

そんな桓騎将軍ですが、前項にてお話したように紀元前234年(始皇帝歴14年)に行われた趙国攻略戦の肥下の戦いにて李牧に敗れたのが史実に登場する最後となりますが、この肥下の戦いは前漢時代に記された二つの書物である『史記』と『戦国策』では結末が大きく異なっており、史記では李牧に敗れ敗走した。戦国策では李牧に敗れ討ち取られたとなっています。



桓騎の死亡は漫画で何話になる?

現在原作であるヤングジャンプではまさに史実の記録として登場する最後の戦いである肥下の戦いの真っ最中であり、毎週その熱い展開に読者の皆さんがハラハラしていますが、桓騎将軍の死亡は何話になるのか?と言う疑問をよく耳にします。

そこで私なりに仮説を立てようと思ったのですが、現状では何話になるのかと言うのは予測が不能であるとさせて頂きます。では何故予測不能なのかと言いますと前述した通り桓騎将軍は史実での最後が二通りある為にどちらに転ぶかがハッキリしないからです。

つまり、司馬遷の執筆した史記を取るならば李牧に敗れ敗走した。つまりは生存ルートを辿る事になります。そして劉向の戦国策を取るならば李牧に敗れ討ち取られたとなり、こちらは死亡ルートになります。もし後者を取るならば桓騎の死を目の当たりにして、李牧の強大さやそれを乗り越える為の李信達の更なる成長と言うドラマを描けますが、現状ではどちらに転ぶかハッキリとしません。

ですので、現状では何話先で桓騎将軍が死亡するのかと言うのは不明ですが、願わくば李牧に敗れ敗走し、軍を立て直した後にその後戦いに参加すると言う歴史のifを見てみたいと思いますね。

※追記

749話現在で、桓騎は李牧に包囲され、飛信隊たちは敗走する形となっています。桓騎の近くには腹を貫かれた黒桜にゼノウの死亡など。飛信隊を抜けて桓騎のところへ戻る那貴の話もありました。

最後には李牧が桓騎を殺す前に話しをしたいと言っていました。

そこで桓騎が死亡するのは750話もしくは751話で確定だと思われます。



752話で桓騎が死亡

https://twitter.com/IbnThami/status/1636865856431874052?s=20

桓騎が史実通りに752話で死亡しました。

突っ込んできた那貴そして一緒に戦っていた厘玉も死亡します。

桓騎は最後には10本の槍を受け、目の前の李牧まで到達するも、既に剣は折れており李牧に届きませんでした。

周囲にいた桓騎軍の将は雷土や黒桜含め全員死亡します。

桓騎好きとしてはかなり悲しい死ですが、史実通りに進むキングダムとしてはわかっていた流れです。



肥下の戦いのその後は?

前項で肥下の戦いで李牧に敗れるというお話をした桓騎将軍ですが、史実では肥下の戦いの後はどうなったのかという桓騎将軍のその後を調べて見ました。

桓騎将軍は今回の記事の中で度々語っている通り、紀元前237年(始皇帝歴10年)に秦の将軍に抜擢されると、主に趙国攻略戦に功績があった武将で、その最後も趙国攻略戦の最中に秦国最大の敵である李牧に敗れると言う結末を迎えています。

そんな桓騎将軍のその後についてですが、司馬遷の『史記』においても劉向の『戦国策』においてもそれぞれ敗走したと敗れて討ち取られたの違いはあるものの、肥下の戦いで歴史の表舞台から姿を消して以降その後の消息について書かれた資料は発見されておらず現代まで謎のままになっています。



まとめ

今回はキングダムより『桓騎』について史実などを交えながらお伝えしてきました。

桓騎将軍は史実では登場する期間も短く、上げた功績も少ないので現代まで様々な説が唱えられている謎多き武将ですが、原先生の描くキングダムではインパクトのあるキャラ付けも功を奏して人気のあるキャラクターに仕上がっています。



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