呪術廻戦182話『東京第2結界②』では、秤金次がシャルル・ベルナール相手に最後、領域展開を発動しました。
その名前が『坐殺博徒(ざさつばくと)』でした。
そこで今回は秤金次の領域展開の内容や能力強さ、そして名前の意味、手印についてなど調べてみました。
呪術廻戦182話で秤金次が領域展開『坐殺博徒』を発動
前回181話では、シャルルが戦う理由がないから理由をくれといった所、秤が挑発してお前の漫画は見ないとかキモオタがとか言いましたね。
そうしてシャルルが戦う気になったという所から今回の182話です。シャルルはG戦杖というインクペンのような杖で相手の未来を1秒先から視れるという呪具?術式を使い、秤相手に攻撃をします。
しかし秤はG戦杖の弱点を見抜いたようで、常に相手を捉えていないと未来はわからないのか、死角からずっと攻撃し続ければいいとしてシャルルに攻撃を当て始めます。
そして最後、秤は領域展開『坐殺博徒』を発動させて182話が終わります。
秤の手印は仏像にあるような、両手を並行に置き、上の手の親指と人差し指で丸を作る形でした。
領域展開『坐殺博徒』の意味
では、まずは『坐殺博徒』という名前の意味から考えて見ましょう。
これが能力のヒントになるかもしれません。
まずは『坐殺博徒』の読み方は『ざさつばくと』です。
『坐殺』という言葉をまず調べてみると、列子という中国の文献のことわざに『田夫は坐殺すべし』というものがありました。田夫は農夫という意味です。
そしてこの『田夫は坐殺すべし』の意味を説明すると、農夫は普段働いて質素な衣服・食事で暮らしている為に急に贅沢をさせれば、病気になって死んでしまうといった意味だそうです。または、座らせて楽にさせるだけで死んでしまうから、こき使ってしまえという意味もあるとか。
どちらが本当かわかりませんが、共通しているのは農民には贅沢・楽をさせれば死んでしまうということですね。
そしてもう一つの『博徒』ですが『坐殺』が中国の言葉であったことからも『賭徒』を調べるとこちらも中国の言葉でギャンブラーという意味のようです。つまり賭博をする人のことですね。
ちなみに『坐』も『座』もどちらも座るという意味にはあるそうですが、『坐』は座る動作そのもので、『座』は座る場所のことをいうとか。
領域展開『坐殺博徒』の内容能力強さ
では183話で語られた『坐殺博徒』はどんな能力なのかです。
それは、実在するパチンコ台をモデルとした領域展開でした。
細かい内容は省きますが、図柄を3つ揃えば大当たりであり、それによって秤自身が大当たりのボーナスをもらえるといった内容です。ただそのボーナス内容は当たってからのお楽しみとのこと。
秤は1/239の確率で大当たりを当てなければいけない低い確率なのですが、リーチや確変など、自らの運なのか最終的には大当たりが当たりやすい期待度が高いリーチを引き当てていました。
この感じからすると、直接相手にダメージを与える術式ではなく、補助系でありバフとかデバフ系のボーナスではないでしょうか。
正直強さ的には、大当たりを引くまでの時間があるので、正直こんな領意展開使えるの?と思ってしまう内容です。
そして186話で見せた鹿紫雲との戦いでは、シャルル戦で使用した『坐殺博徒』の大当たりのバフが継続し、その効果は大当たりの4分11秒間不死身になるというもので、秤は反転術式は使えないものの、漲る呪力からオートで反転術式を発動し、回復してしまうというものでした。
そして呪力が溢れてくることからも、大当たりの効果が終わった後、領域展開で術式が焼ききれても呪力は回復しているので、連続で領域展開ができるといったチート能力でした。
乙骨の『ノッてる時の秤は僕より強い』が実現するか
そしていつぞや、乙骨が説明した秤に関しての見解。それが『ノッてる時の秤は僕より強い』です。
普通に考えて乙骨より強いのはありえないんですけど、領域展開の内容がギャンブル要素のあるものなら、それはまた考えさせられます。
その『ノッてる時』がどういう状態なのかわかりませんが、ギャンブルでより運がきている時がそうなのかもしれません。
こういうギャンブル要素のある技ってハンターハンターのカイトの念能力である『クレイジースロット』も少し近い気がします。芥見先生はハンターハンター好きのようですから、そういう所からもイメージを得たかも知れません。
カイトの『クレイジースロット』は、ギャンブル要素のあるもので、ルーレットからランダムに選ばれた数字から武器が決まり、その武器により強さが変わるといったものです。なので、相手が強い時に弱い武器が出たら大変ですね。
領域展開『坐殺博徒』の手印
そして『坐殺博徒』の手印を見ると、どこかで見たことあるような手印になっていました。
私達でも簡単に真似できそうな代表的な手印に見えます。
そして仏像もこの形のものがあるようで、ヴィタルカという仏教の教えの意味あいがある手印のようです。
ちょっと調べても意味を完全に理解できなかったのですが、ヨガの形にもあるようで、『有想三昧』という瞑想の中の1つであるのが尋(ヴィタルカ)だとか。ちょっと理解はできませんけど、そういうものがあると理解してもらえれば。
しかし、さらに調べると弁財天の手印と同じだとか。お金に纏わる神様、そして秤のギャンブルなどというお金に纏わる術式。近い感じですね。