楼蘭妃(子翠)の死亡その後生きてる!玉藻に改名で猫猫の簪売る【ろうらんひ/シスイ/薬屋のひとりごと】

本サイトでは広告を利用しています
3.7/5 - (4 votes)

ストーリーの面白さや設定で人気がある薬屋のひとりごと。その中でも楼蘭妃が子翠だったことは衝撃を受けた方も多いかと思います。

そこで今回は「楼蘭妃(子翠)の死亡、その後生きてる!玉藻に改名で猫猫の簪売る」について書いていきます。





目次

楼蘭妃の死亡

楼蘭妃の最後は自殺です。

楼蘭妃は武官たちの攻撃をかわしながら軽やかに移動していましたが、何度目かの発射で彼女の胸に当たり、一瞬痛みに顔を歪めた楼蘭でしたがすぐに笑みを戻します。そして、そのまま後ろに倒れ砦の屋上から飛び降りてしまいました。この時の様子から死亡したと思われていますが、後述していく理由から生きていると言われています。

そもそも楼蘭妃がこのような最後を迎えることになった理由として上級妃の食事に毒を盛ったこと、砦の中で武器を作っていたことが挙げられます。これらは帝への反逆とみなされ結果、楼蘭を含む一族は処刑されることになりました。



楼蘭妃のその後は生きてる

砦から飛び降りた楼蘭が生きている可能性として雪が積もっていたため遺体が発見されていないことがあります。そのため生きているのではと考えられています。

猫猫の回想で雪が溶けはじめたら探すそうだと言っていたシーンがあったので、探し出せなかった可能性もありそうですが生死について何も言われていないところがもしかしてと思わせてくれるところでもあります。

しかし、謀反をした一族であり彼女の8等親以内の一族は処刑されています。そして8等親以外の親族も財産を没収された上に都から追放されています。なのでもし生きていたとしても後宮に戻ることはできないでしょう。

生きている可能性がある理由として小説4巻の「終話」で楼蘭と思われる少女が登場しているので、次の項目から詳しく紹介していきます。



子翠から玉藻に改名

港町に「玉藻」と名乗る少女が現れ露店の前に立ち品物を見ていたのです。その少女を見た商人は身なりはあまりよくないが整った顔立ちをしていると言っていました。

商人から名前を言った後に「海でも寵愛受けそう」と言われていました。玉藻というのは水中に生える藻の古称なので、そういった意味も含めて言われたのだろうと思います。そして、もう一つ玉藻前という意味もあり、平安時代末期に鳥羽上皇に寵愛された妖狐の化身です。玉藻前は中国の妲己にまで遡ることになり、最終的には若藻という少女に化けて来日しています。

壬氏は楼蘭妃の事を「女狐」と喩えていたり、子翠が海の向こうは面白そうと興味を示しているので何か意図があると考えられますね。

また作者の日向夏先生は「桜蘭妃は子翠で玉藻になった」と描かれていたので、やはり玉藻は子翠であると言えるでしょう。



子翠は猫猫の簪売る

商人と話していた玉藻は玉製の蝉が気になっていました。そして持っていた簪を取り出し物々交換をして蝉の玉を手に入れています。

簪といえば子翠へ猫猫が壬氏からもらった簪を渡しているシーンがありました。なので交換で渡された簪が猫猫からもらったものである可能性は高そうです。さらに簪は細工の精巧さと美しい柄の模様があるが、丸いものが嵌められたような穿った跡があったとのことです。この跡は恐らく子翠が撃たれた時にこの簪が銃弾を防いだことでできたものだと考えられます。

猫猫は壬氏に子翠に簪を渡した時に「いつか返して」と言ったと言っていたので、どこかで生き延びてまた再会したいといった気持ちも込められていたのかもしれませんね。猫猫も周り巡って都の露店に並ぶかもしれないと言っていたので、この簪がどうなっていくのかも気になります。



まとめ

楼蘭妃(子翠)の死亡理由やその後生きてる可能性についてまとめてきました。

初登場から謎の多かった楼蘭妃ですが、母親の復讐のために利用されたりしながらも、子一族の子どもたちや翠岺を解放してあげたいと考え信念を貫き通すかっこよさも持っていたキャラクターでしたね。





  • URLをコピーしました!



目次