聲の形 手話の最後や橋の上で手を握る小指の意味!花火や竹内先生も【ネタバレ】

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金曜ロードショーで放送される「聲の形」では手話が多く登場します。その中でも終盤のシーンは話題となり名シーンと言われています。

今回の記事では最後に橋の上で硝子がしている手話と小指を絡めた意味、花火の時に将也にした手話についても書いていきます。

目次

聲の形の最後の手話の意味は?

聲の形では硝子と将也が橋の上で手話で会話するシーンが印象的ですね。この時の手話の意味については映画では語られておらず何と言っているのか気になると思います。

この時、硝子は私のせいで石田くんがいじめられた」「最低だと思う」「私のせい」「ごめんなさい」「寂しい」と言っています。そして最後に硝子がした手話は「約束」という意味になります。

この最後の手話のシーンは描写が盛りだくさんとなっており日本語訳も一切語られておらず読み手の解釈に委ねられています。かつて硝子は将也に手話で友達になって欲しいと言いましたが拒否されています。その二人がずっと友達という意味の手話をしているのは感慨深いですね。

橋の上で手を握る意味は?

硝子と将也がそれぞれ橋に向かい再会するシーンはとても印象的で手話の描写も多く登場します。映画ではその場面で将也が硝子の手を友達の手話にして更に自分の両手を重ねています。

将也は「君に生きるのを手伝って欲しい」と言っていました。将也はきもいことやっちゃったかな?と心配になっていましたがすぐに二人して笑っています。

この時の意味はまず友達の意味も手話をした後に更に友達の意味の手話を重ねていました。このことから「ずっと友達でいたい」「不安を取り除いだり落ち着かせてあげたい」といった意味も込められていると思います。

小指の意味は?

橋の上で硝子と将也が手を重ねた後に小指同士を結んでいるシーンがあります。よく見る指切りげんまんに似ているものですが、手話でこの小指と小指を引っ掛けるしぐさは「予約」「約束」の意味です。

この場面では将也の「君に生きるのを手伝って欲しい」に対しての約束だと考えられます。橋の上で将也は硝子に最悪の選択をさせたと言っているところもあり、もう硝子がいなくならないという約束をする意味も込められているのではないでしょうか。

ただの友達ではなく友達以上となった二人がお互いを支え合っていけるような特別な関係性を表すのに分かりやすく丁寧な表現だと思います。

花火の時の手話の意味は?

作中では硝子と将也が花火大会に行くところが描かれています。露店を回りながら食べものを買ったり、硝子の誕生日を聞いて来年は一緒に祝おうと言います。

硝子は笑顔を浮かべた後に立ち上がり、将也はもう帰る?と聞きますが硝子は勉強と返します。一人で帰る硝子に手話で「またな」とする将也に対し硝子は「ありがとう」と返事をしていました。硝子はいつもなら「またね」と返すのですが、今回は違っており将也も一瞬違和感を感じたようでした。

硝子はこの後、飛び降りをするのですが「またね」は二人にとってまた会う約束の意味もあります。なので、硝子は会う約束をしたままいなくなってしまうことが嫌でありがとうと返したのだと思います。

竹内先生の手話とは?

竹内先生は硝子と将也が小学生の時の担任をしていました。当時のいじめの責任を将也に押し付けたことや、高校生になった硝子たちが映画製作のために訪れた時には「面倒ごとを押し付けられた」ともとれるような発言をしており、あまりいい印象はない人物です。

しかし、6年2組の担任をして失敗したことをきっかけに努力したような描写が見られます。将也と真柴が竹内先生の元を訪れた後に将也が硝子に手話で「久しぶりに来たかった?」と聞いているところがあり、その手話を竹内先生は理解していました。

なぜ分かるようになったのかについては描かれていませんが、彼なりにどうしたらよかったのか考えた結果なのだろうと思います。

まとめ

最後に橋の上で硝子がしている手話と小指を絡めた意味、花火の時に将也にした手話についてまとめてきました。

本作では硝子が話す時は手話なのでセリフなどで状況の説明などはなく、代わり音楽や映像で心情を表していることが多いです。それらの点の注目してみると新しい発見もあるかもしれませんね。

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